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2007年8月 2日 (木)

耳を啓く

7月12日(木)
 東京文化会館小ホールへ『東京シンフォニエッタ 第20回定期演奏会』を聴きに行った。
 伊藤美由紀さんの作品「エナジー・ヴォイド」はニューヨークで聴いた時よりも音のバランスが良く、構成がはっきり見えとても良かったと思った。

7月17日(火)
 9月に公演予定の佐藤聡明作曲「燦陽」「皎月」のリハーサルが佐藤聡明さんの長期イタリア滞在を理由に早めに行われた。
 出だしから様々な注文を頂く。
 西村朗さんの時もそうであったが、作曲家の話しをうかがうのは本当に勉強になるし、以前に彼の著書『耳を啓く』を読んであったのでなおさら仰っている事のすべてに納得がいく。
 「結論から先に申せば、邦楽器というものは奏する者が音と一枚にとなり、耳を啓くためにのみ、永い歳月をかけて今日の形に作り変えられたのである。誤解を恐れずに申せば、邦楽器とは、その最も深いところで音楽を拒否している楽器なのである」と彼はその本に記してある。
 以前、私は日記に、日本の箏は中国の様に絃の数を増やしたり、絃をスチール絃に変えず伝わった形を殆ど変えなかったというところが、日本独特の音楽を形成している、と書いた事があるが、それは一度変わっても、また元の形に戻しているという部分を省略しており、それを含め佐藤氏は永い歳月をかけて今日の形に作り変えられた、と言っている。
 リハーサルにおいての彼の指示は、音楽上とても納得のいくものだが、箏という楽器の性質としては全くの無理難題を言っている。
 でも「箏は最も深いところで音楽を拒否している楽器」と思って聡明氏の仰っている事に立ち向かうと、その演奏を実現する為の努力が当然の儀式の様な気持ちにもなる。
 そしてその儀式の為の音を出す精神や技術を工夫していると、何故今までこの事を忘れていたのか、と思うほど新鮮な気持ちになり、耳だけでなく精神まで啓いてくるのだ。しかし、これがまた遮二無二努力すると「あ〜だめだめ、そんな固い体では弾けない」と言われ、彼が世界で最もうまいと思っているギドン・クレーメル(vln)の柔軟で強靭な右手を例にあげ、私の体がそのようにならなかったら「いい演奏」はできないと言われた。
 ほ〜んとだね〜。仰っている事はよくわかるのですが、、。
 しかしこの様な状況でも、共演の中村明一氏に言わせると、佐藤氏が立ち会うリハーサルとしては最もご機嫌が良かったそうで、中には「君は橋にも棒にもかからん」と言われた人もあるそう。とは言え、肝心な9月の本番が最も重要なのだから、その日迄に体得しなくてはと思っているのであります。

7月20日(金)
 ダンサーの加藤文子さんと今年で3年目に入る共同作業「夢十夜」の打ち合わせ。
 漱石の「夢十夜」が現代の日本人をいかに予言していたかについて話し、今後の共同作業としては今迄作ってきた動きや音を解体し、省略していこうという方向性にほぼまとまった。
 8月9日は、もう一度この本を読み直した個々の思いが音や動きに反映されるものになります。

8月9日(木)午後7時開場、7時30分開演
東京、渋谷「公園通りクラシックス」
八木美知依(17絃箏、20絃箏)+ 加藤文子(ダンス)+ 秋山徹次(ギター)
3000 円(1ドリンク付)

 夜、恩師とそのお嬢さんと代官山パッションで夕食。約10年ぶりの再会。午後6時30分に始まった集いだったが、閉店の11時に気づかないほど語り合いながら、美味しい料理と少々のお酒を楽しんだ。

7月22日(日)
 映画『THE DEPARTED』。面白い!
 サントラに知っているようなギター音が入っているな〜っ、と思ったらマーク・リボーでした。

7月26日(木)
 郷里。夏休み中の甥っ子達と海へ行く。
 人でいっぱいだろうと思ったら、意外にもがらがら。
 彼らがいなかったら、海に行くなんて事もないですから、感謝。
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